銀月の誓い
レウスの家出騒動から次の朝、俺は一人山頂で訓練していた。
ここ最近の早朝は弟子二人と庭を走っていたのだが、流石に昨日の今日で早朝訓練するのは酷であろう。というか、俺がやり過ぎてしまったせいもあり、歩くことさえ出来ないくらいボコボコにしたからな。昨日の出来事を思い出すと苦笑が漏れる。
昨夜、レウスを連れ帰った俺達は、家の前で帰りを待つ従者達に迎えられた。
「お帰りなさいませシリウス様。エミリアも、そしてレウスもね」
「ああ、ただいま皆。早速だけどレウスの介抱を頼む」
「お任せください」
「うひゃー、ボコボコですね。傷薬足りるかな?」
疲れきって気絶したレウスをディーに渡し、ノエルと共に家へと入った。背中に乗っていたエミリアを降ろしてようやく一段落だ。
「しかし、我ながらやり過ぎたな」
「ですが必要な事でした。それだけ真剣に向き合った結果ですから、気に病むことではありません」
「いや、気には病んでないんだが、ただもうちょっと手加減してやれば良かったと思ってさ。感情に任せてブレーキが甘かった」
「良いのです、これもまた愛のムチですから。今後この様な勝手な行動も控えるでしょう」
「辛辣だねぇ。まあそれも言えてるが」
俺の言動は全てプラス思考のエリナに戦慄を覚えつつ、ふと背後に立つエミリアが静かな事に気付いた。帰ってくるまで一言も発してないんだが、冷静になったらレウスをボコボコにした事を怒ってたりするのか?
「どうしたんだ。レウスの所に行かないのか?」
「あ……はい。す、すぐに向かいます!」
声を掛けると慌てて俺の横を走り抜けていくが、途中で止まり引き返して俺の目前で頭を下げた。
「シリウス様、本当に……ありがとうございました。私達姉弟が一緒に居られるのは、シリウス様のおかげです」
「ああ、ありがたく受け取っておくよ。何はともあれ、無事で良かったよ」
「はい! 私はどこまでも貴方についていきます」
エミリアは熱に浮かされたように俺を見上げている。あれ……これはもしかして?
「し、失礼します!」
唐突に謝るなり、いきなり俺に抱きついてきたのだ。彼女らしかぬ行動に困惑していると。
「いてっ!」
肩を噛まれた。思わず声が出てしまったが、驚きが大半で痛みはほとんどないし、血も滲んですらない。突然の行動を問い質す前に、彼女は何事か呟いて俺から離れ、顔を真っ赤にして逃げるように家へと入っていった。
残されたのは呆然とする俺と、怒りのオーラを発するエリナだ。
「主人に牙を立てるとは……教育という名のお仕置きが必要ですね」
「待て待て、あれは銀狼族の習性だから、攻撃されたわけじゃないから」
今にも襲い掛からんとするエリナを諭すため、エミリアから聞いた銀狼族を説明した。
銀狼族にとって肩に噛み付くのは愛情の証。そして離れ際に呟いた俺への言葉はだ。
『大好き……です』
確実に前回よりパワーアップしている。これはもう……あれですな。
「ノエルが居ればこう言うでしょう。完全に落ちた……と」
「言わないでください」
はい、誰から見てもアウトです。あれ完璧に恋する乙女ですよねー。
弟を呪い子の絶望から救った俺は、憧れを通り越して恋へと進化しました。やべぇ、ノエルの言った通りの状況になりつつある。別に彼女が嫌いじゃないし悪くはないんだが、まだ互いに若いし、変に拗れる前にしっかり話し合っておかないと不味いよな。
悩む俺に、万能のエリナは任せろとばかりに胸を叩いた。
「シリウス様、エミリアの事は私にお任せください」
「大丈夫か? 変に我慢とかさせたりして鬱屈させても困るんだが」
「大丈夫です。互いに納得できる良い考えがありますので」
「なんか不安だが、女性の事は女性に任せるよ」
エリナは信頼している……信頼しているのだが、この時だけは言い知れぬ不安が拭いきれなかった。
それからレウスの処置も終わったが、あれから一向に目覚めないまま朝を迎えてしまったわけだ。
山頂の訓練で汗を流し、家へと飛んで帰る。
出迎えてくれたのはエリナで、タオルと飲み物を受け取り体の手入れをしつつ聞いた。
「二人は起きてきたかい?」
「それがまだ。出て行った形跡はないので、そろそろ呼ぼうと思っております」
「昨日はそうとうやらかしたし、顔を合わせづらい気持ちはわからんでもないがな」
それでも家に居る以上顔合わせはしなければならないのだ。エミリアも来ないのは、レウスを一人にさせたくないからだと思う。
「最悪、部屋の前に御飯を置いて誘い出すか?」
「それはちょっと。とにかく朝食の用意は出来てますので行きましょう。本日はディーも張り切ったようです」
祭を催し天照を誘い出した天岩戸ではないが、食べ物で釣るのは動物扱いで可哀想か。でもあいつ、狼で犬だしなぁ……案外やっても違和感を覚えないのは俺が意地悪いせいかね。
「「おはようございます、シリウス様」」
朝食が並べられたテーブル前にノエルとディーは座っているが、二人の姿はまだ無い。全員の視線が空いた席に集まり、ノエルが立ち上がって居間を出て行こうとすると。
「あれ? 二人とも起きてるじゃない」
「「っ!?」」
扉からこちらを覗き込んでいる二人を発見したのだ。慌てふためく二人だが、ノエルは問答無用で扉を開け放ち中へ引き込んだ。
「おはよう……ございます」
「……むぅ」
ばつが悪そうなエミリアに、泣き腫らして目を真っ赤にしているレウスは俯いて視線を合わせようとすらしない。
「レウス、朝の挨拶はどうしたのかしら?」
「う……お、おはよう……ござい……ます」
「はいよろしい。では早くお座りなさい。朝食が冷めてしまうわ」
「ほらほら、二人とも座って座って」
ノエルに背中を押され、二人は渋々席に座る。テーブルに朝食であるパンやベーコンが並んでいるが、レウスの前だけは何も用意されていなかった。その現実にレウスは明らかに落胆していた。
「お前はこれだ」
だが、少し遅れてディーが暖かいスープを用意したのだ。ディーを見るといつも通りの無表情だが、口元は少しだけ釣りあがっている。
「お前は口を中も怪我してるからな。これを食べて大丈夫だったら、他のを食え」
淡々と説明し、ディーも食卓に着く。呆然とその行動を見やる二人を置いて、俺達は手を合わせた。
「それでは皆、神に感謝を。いただきます」
「「「いただきます」」」
「い、いただきます」
エリナの合図で朝食が始まる。ちなみに食事前に神に祈るのは常識だが、いただきますは無かったので俺が広めた。戸惑いつつも食事に手を付ける二人だが、レウスはスープを啜って苦い顔をしていた。口内の傷に染みたのだろう。
「うーん、やっぱり少し冷めたのを出した方が良かったんじゃないですか? 熱くて痛そうですよ」
「だが、暖かい方が美味しい」
「ですよねぇ。それ貴方達が最初に飲んだスープなんだけど、味わかるかなレウ君?」
「美味く……出来てるか?」
俺が教えたスープの出来が気になるのか、ディーはドキドキ(無表情)しながらレウスの反応を待つ。注目されたレウスは涙を浮かべ。
「う……ん。美味い……美味いよ……」
涙が零れ、スープに落ちようがレウスのスプーンは止まらない。瞬く間に食べ終え、レウスは勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 勝手な事をしてごめんなさい。僕、もうこんな事しないから、だから……姉ちゃんと一緒に居させてください!」
突然の懺悔に皆の手は止まっていたが、エリナは口元を拭いつつ食器を置いた。
「レウス、シリウス様は貴方に何と仰って帰られたか覚えてるかしら?」
「……家に帰るぞって」
「ならばそれで良いのです。改めておかえりなさい、レウス」
「「「おかえり」」」
「うぁ……うぅ……」
拭っても溢れ出る涙。レウスは今日初めて、心の底からこの家の者になったと自覚しただろう。
「お腹空いてるでしょ。痛いけどパン食べられる?」
「肉も食え。元気出るぞ」
「レウス、私の卵分けてあげる」
「うん……全部……食べる」
姉やノエル達に甘やかされ、騒がしい朝食はしばらく続くのだった。
朝食後、食後のお茶を飲んでいるとレウスが目の前にやってきた。以前まであった俺への嫉妬は完全に消えており、今はただどう話し掛けたらいいか迷っている子供だ。仕方ないのでこっちから振ってやる。
「どうした? 俺に何か用か」
「あの……シリウス様、ごめんなさい。そして、ありがとうございました」
「ああ、受け取っておこう。ただ、俺が殴ったとはいえ、その怪我は自力で治すんだぞ。自分の失敗をしっかりと刻んでおくためにな」
「うん!」
ようやく俺に笑ってくれるようになったか。試しに頭を撫でてみるが、嫌がる素振りは見せず尻尾を振って照れ臭そうにしていた。どうだこの変わり様は……と、ドヤ顔したくなる瞬間だ。
「そういえば呪い子だったか。あれはどうなんだ? 今は戻っているが、夜になったら勝手に変身するのか?」
「僕がなりたいと思わない限りならないです。月を見てると少しドキドキするけど我慢はできます」
変身はコントロールが可能のようだ。月を見たり、夜になったら強制的に変身する仕様じゃなくてよかったな。でも大人になったらわからないし、色々実験しながら調べておくとしよう。とにかく無闇に変身せず、何かあればすぐに報告することを約束させた。元の性格が素直なので、懐かれれば反論は一切なくすんなり終る。
「シリウス様、僕は強くなりたいです。姉ちゃんを守れて、呪い子なんかに負けないくらいに、そしてシリウス様みたいに強くなりたいです」
「俺みたいに……か。大変だぞ、しっかりついてこいよ」
「はい!」
エミリアとレウスは様々な物を振り切り、ようやくスタートラインに立った。ここから俺の本当の腕が試されるわけだ。二人を鍛えつつ、俺自身も師匠として鍛錬を怠るわけにはいかない。先は長く大変だが、遣り甲斐があって充実している。
本日は二人の訓練は完全にオフだ。レウスには無理しないよう言い聞かせ休ませているし、エミリアはエリナに連れられて部屋へと戻っていった。というか彼女は朝から一度も俺と目を合わせていない。それらと昨日の問題も含め、エリナの手腕で解決するといいんだが。
というわけでライオルの所へ向かおうと思ったのだが、弁当を作るとディーが言い出したのだ。一時間程かかると言うので、俺は時間潰しも兼ねて庭で木剣を振っていた。
剛破一刀流、剛天から剛翔。何度も戦い観察した動きをトレースし、イメージ通りに体を動かす。一太刀全てが必殺となるこの流派は、確実に放ち当てる技量が必要不可欠な為、反復訓練が非常に重要だ。一息に八つの斬撃を放つ『散破』を真似てみたが、『ブースト』状態でも六つが限界であった。力も技量も足りないせいだろうが、あの爺さんはこれを重量のある鉄剣で放てるのだ。改めて化物だと理解した。
一通り振り回し軽く汗をかいたところで止めると、こちらを覗いていた影が姿を隠した。言うまでもなくレウスだが、休んでろって言ったのに元気な奴だ。隠れている藪から引きずり出し話を聞いてみることにする。
「何をやっているんだお前は。休んでなくて平気なのか」
「シリウス様が何をやっているのかと思って。それにもう体はあまり痛くないから」
回復速いな。これも呪い子の影響なのかね。そういえばレウスに剣を振っている姿を見せたのは初めてだったか? ふむ……色々体験させるのもいいな。
「見様見真似の剣だが、どう思った?」
「凄かった。あんなビュンビュン振り回して、かっこよかったです」
「そうか、じゃあ振ってみるか?」
木剣を差し出し握らせると、新しい玩具を貰ったみたいに顔を輝かせていた。
「……いいの?」
「無理しない程度に振ってみな。体が痛くなったら止めるんだぞ」
何事も経験ってやつだ。レウスの戦闘スタイルがどうなるかわからないが、剣を振って損することはあるまい。
レウスは嬉々として剣を振るが、何も知らない彼の素振り音は非常に情けないものだ。音の違いに首を傾げて疑問符を浮かべている姿が面白い。
「何で?」